朝晩、冷え込むようになり、朝には草に露が降りる頃。
七十二候では、鶺鴒鳴 (せきれいなく)。
このところの大雨に、気温もやや下がり、夜には虫の声が涼やかに聞こえるようにはなりました。
が、昼間はまだ蒸し暑い感がありますね。
すっかりご無沙汰していましたが、皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。
この1ヶ月ほど、Naoko.worksのために何度か記事を書きました。
ただ、どれもパッとせず、そのままお蔵入りに。
この夏はIRの仕事が忙しく、ビジネス系にリソースを全振りしていました。
と、仕事のせいにしてみたり。
ようやく仕事の方は落ち着いてきました。
IR関連の仕事は、一般的には上場企業の株主総会を基準に動きます。
日本の多くの企業の決算期は3月に集中しているため、株主総会は6月がピーク。
IRの業務も、6月からがピークでした。
9月に入ってようやく落ち着いてきたところで、事務所の業務は次の展開へと向かいます。
さて、今日は9月13日。
3年前のこの日の夜、私たちは車に荷を積み、軽井沢を出発しました。
軽井沢で暮らした最後の日。
それが、2022年9月13日でした。
軽井沢で暮らす最後の日の朝。毎朝眺めていた、寝室の窓からの風景。

近隣のお世話になった方々にご挨拶するうちに、日は暮れ、中軽井沢のログハウスを出たのは21:00頃でした。
その3日前の9月10日には、引越しトラックが軽井沢を出発。
一晩おいた11日には、ほとんどの荷物は横浜の家に搬入済みでした。
その搬入に立ち会うため、新幹線の日帰りで軽井沢・横浜間を往復。
とんぼ返りの翌日12日には、お世話になった方々に最後のご挨拶。
そして、退去のための不動産会社さんの立ち会い。
その時から11年半前、軽井沢で最初に入居した物件をお世話してくださった若社長さん。
懐かしい話に花が咲きます。
と同時に、次の入居者の方が内見に来られて、ひとしきりお話をしたり。
在宅での仕事をしながらの引越しということもあり、準備は行き届かず。
不用品などは、その不動産屋さんやご近所さんが引き受けてくださって、かろうじて退去できたというてんやわんや。
転居直後には手術も控えていて、その準備も進めていました。
今思えば、よくぞ乗り切った。
あれから3年。
転居以来、ほとんどそのままだったクローゼットや押入れの本格的な整理を始めました。
軽井沢時代の防寒着や分厚いパジャマ、敷物など。
どれもが、氷点下15℃まで冷え込む寒冷地の軽井沢の暮らしのためのもの。
温暖な横浜では、一度も使うことはありませんでした。
それだけではありません。
リンビングの家具は、引越しの時にとりあえず置いたまま。
書類も、とりあえずまとめたまま。
どれもこれも見直したい。
横浜に移って3年が経ち、こちらの暮らしが自分なりにようやく形づくられてきた。
それは、気候の違いだけではない気がしている。
暮らしの中心が、人との関係により一層シフトしたということかもしれない。
暮らしにおいて人との関係が欠かせないのは、どこにあっても同じかもしれない。
けれども、横浜に暮らすようになって、多くの方たちと関わる機会に恵まれている。
生活が圧倒的にヒト中心になった。
それが軽井沢でもできたなら、もっと違った形の暮らし方になったかもしれない。
そう思うこともある。
もしそうだとしたら、少なくとも小説を書くことはなかったかもしれない。
だって、仕事のほかに落ち着いて文章を書いている時間などなかっただろうから。
先日、家人からこう言われた。
「書いた小説、出さなくちゃね。」
ああ、そうだ。
江戸時代の軽井沢を舞台に書いた『浅間山ろく玄鳥記』の第2話。
一旦は完成をみたはずの、あの小説。
IRの仕事に追われているうちに、置き去りとなっていた。
その間に、どうも気に食わないと思うようになり、うっちゃったまま。
そうだ、家人の言うように「出さなくちゃ」。
そう思い、手直しを始めた。
ところが、その手直しがなかなかの難題。
いやいや、どこかに落としどころはあるはず。
IRの文章だって、行き詰まっても必ず解決策はあった。
それに比べると、小説の負荷は大きい。
それでもなお、乗り越える足掛かりは必ずあるはず。
家を整え、書類を整理し、小説を完成させる。
と同時に、事務所業務の次なる展開も。
そして、愛すべき友人たちとの交流があって、、、
きっと素晴らしい季節の巡りが待っている。
皆さまも、どうか素敵な時をお過ごしくださいますよう。
そう、夏のお疲れもでる頃でしょうか。
どうかくれぐれもご自愛ください。
アイキャッチ画像:ザ・タワー横浜北仲46階の展望台から、ベイブリッジ方面を望む。今年の夏の大切な一風景。