2025大暑・大雨時行 :格別の戦争と日常

随分とご無沙汰してしまいました。

津波警報が発令されたり、台風がやってきたり。

その台風が運んできた熱波。

二十四節季は、まさに「大暑」。その末候となる「大雨時行 (たいうときどきふる)」となりました。

TN worksでは、IR支援業務が一瞬の凪。

前後して、近隣の教会のイベントに参加させていただき、アトランタから来られた方々と交流。

横浜のインターナショナル・チャーチとあって、常日頃も欧米、アジア、アフリカなど世界中から来られた方々と出会える場。

オープンなコミュニケーションが、とても心地よく、近隣にこのような場があることに感謝です。

その世界とともに日本が戦争に突入していったのは、今から約84年前の1941年。

今年は、終戦80周年となります。

夏といえば親戚で集まり、バーベキューにスイカ割り、花火に興じる、心躍る季節。

書店には「新潮文庫の100冊」が並び、入道雲を眺めながらアイスティーを片手にその日の一冊を楽しむ季節。

そして……夏といえば、やはりその底流には「戦争」が強く感じられる季節。

父方・母方の祖父がともに職業軍人だったということもあってか、戦争は幼い頃から身近にある話題でした。

それが当たり前だと思っていましたが、皆がそうというわけではないと知ったのは大人になってから。

戦争を表現する時、理不尽さとか、悲惨さといった言葉が使われるのが常です。

もちろんそれらの言葉に間違いはないのですが、それでは全くもって足りない。

戦争を表現するときほど、言葉の無力さを感じます。

言葉では表現できない、まさに筆舌に尽くしがたいのが戦争だった。

先日、映画『沖縄決戦』を、まだ観ていないパートナーとともに観る機会をつくりました。

監督に岡本喜八、脚本には新藤兼人、俳優陣には小林桂樹、丹波哲郎、仲代達矢といった名優を揃えた往年の名作。

そして、昨日は『オッペンハイマー』。

クリストファー・ノーラン監督の手腕が遺憾無く発揮された、こちらはつい先ごろの名作。

期せずして戦争にまつわる映画が続いた。

改めて戦争について考えることになる。

となると、やはりこう思わざるを得ない。

「戦争ではないから大丈夫」

今、何か大きな問題を抱えているわけではない。

だから、今、そう思う必要は特に感じていない。

けれども、大抵のことは戦争に比べれば大したことではない。

戦争の時代、たまたま生を受け、生きざるを得なかった祖父母たち。

そして、多くの同時代の方々。

戦後の社会がどうであれ、今の社会にどういった問題があろうとも、日本という局地に限定してみれば戦争のない平和な時間が続いている。

あの戦争の時代に居合わせた方々が、今のような平和な社会を願ってくれたこと。

その想いを心底に受け止めて生きなければならない。

広島・長崎の原爆の日も近い。

彼の地の方々にはまた格別の想いある日と思う。

その想いを誰もが共有する大切な日であってほしい。

そして、もう一つ。

誰かと「また明日!」とか「また来週!」といって別れることは、ごく普通の日常のこと。

言ってしまえば、大したことのない別れ。

けれども、その大したことのないような別れであっても、私はいつも「これが最後かもしれない」と思う癖がある。

母もそうだと聞いたことがある。

死が常に身近にあった職業軍人の家ならではのことかもしれない、と。

理由はともかく、いつが最後の時なのか、誰にもわからない。

そうだとすれば、いつもが最後の時のように相手を大切に想い、気持ちよく別れたい。

次の機会があれば、それは幸い。

幸いに恵まれる夏となりますよう。