蒸し暑い日が続き、かと思えば冷んやりとした雨模様となり、5月らしからぬ気候でしょうか。
七十二候では、蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)の季節を迎えています。
蚕といえば、信州は古来より養蚕が盛んだったとか。
「蚕の国」などと呼ばれ、江戸時代初期には、各藩が養蚕を産業として奨励。
紬が信州の特産として広まっていきました。
「浅間山ろく玄鳥記」シリーズに登場する東信地域では「上田紬」が知られています。
真田昌幸が上田城を築いた際に奨励した「真田織」。
それが、上田紬の始まりとか。
武田信玄の家臣であった真田氏。
信玄と勝頼の2代に仕えた真田昌幸は、武田氏滅亡の後は、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の時代へと、戦国の世を渡ります。
上田合戦で徳川家を大いに恐れさせ、関ヶ原の戦いでは西軍につき敗北。
結果、上田領没収となりました。
この真田氏を今の世に知らしめた名作といえば、池波正太郎の『真田太平記』。
それ以前にも「真田十勇士」や、その一人である猿飛佐助など有名ですね。
と、蚕から話はそれましたが、信州の歴史の話は尽きないものです。
一方で、今、暮らす横浜の歴史は、非常に短いといわれています。
小さな漁村があった横浜。
1859年に開港という一大イベントを迎え、今の横浜に至るまで、たったの166年。
横浜に育った私には、信州の歴史の厚みは非常に興味深いものでした。
祖先を辿れば、例えば戦国時代には一帯の城主だったという方が、身近にいる。
「あの山の辺りに城があってなあ」
そう伺い、当時、訪ねたのは富士見城跡。
その城跡からの眺めです。

さて、このような歴史の今への連続性は、信州では当たり前のことかもしれません。
けれども、横浜では驚くべきこと。
同じ土地に先祖代々にわたり、長く長く暮らす。
そのことを想像しようとしても、なかなかに及ばないものです。