2025年小満・蚕起食桑:戦国武将、そして開港へ

蒸し暑い日が続き、かと思えば冷んやりとした雨模様となり、5月らしからぬ気候でしょうか。

七十二候では、蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)の季節を迎えています。

 

蚕といえば、信州は古来より養蚕が盛んだったとか。

「蚕の国」などと呼ばれ、江戸時代初期には、各藩が養蚕を産業として奨励。

紬が信州の特産として広まっていきました。

 

「浅間山ろく玄鳥記」シリーズに登場する東信地域では「上田紬」が知られています。

真田昌幸が上田城を築いた際に奨励した「真田織」。

それが、上田紬の始まりとか。

 

武田信玄の家臣であった真田氏。

信玄と勝頼の2代に仕えた真田昌幸は、武田氏滅亡の後は、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の時代へと、戦国の世を渡ります。

上田合戦で徳川家を大いに恐れさせ、関ヶ原の戦いでは西軍につき敗北。

結果、上田領没収となりました。

 

この真田氏を今の世に知らしめた名作といえば、池波正太郎の『真田太平記』。

それ以前にも「真田十勇士」や、その一人である猿飛佐助など有名ですね。

と、蚕から話はそれましたが、信州の歴史の話は尽きないものです。

 

一方で、今、暮らす横浜の歴史は、非常に短いといわれています。

小さな漁村があった横浜。

1859年に開港という一大イベントを迎え、今の横浜に至るまで、たったの166年。

横浜に育った私には、信州の歴史の厚みは非常に興味深いものでした。

祖先を辿れば、例えば戦国時代には一帯の城主だったという方が、身近にいる。

「あの山の辺りに城があってなあ」

そう伺い、当時、訪ねたのは富士見城跡。

その城跡からの眺めです。

 

さて、このような歴史の今への連続性は、信州では当たり前のことかもしれません。

けれども、横浜では驚くべきこと。

同じ土地に先祖代々にわたり、長く長く暮らす。

そのことを想像しようとしても、なかなかに及ばないものです。