横浜界隈では、染井吉野の花が散り、八重桜の季節になりました。
薔薇の花も咲いて、空気には微かに夏の香りがしてくるようです。
さて、七十二候では「虹始見(にじはじめてあらわる)」とされる季節です。
透明感のある美しい彩りが、ふと現れて、やがて儚く消えていく。そんな虹を、ほんのひと時でも目にすることができれば、それはそれは嬉しいものです。
映画『オズの魔法使い』でジュディ・ガーランドが歌った”虹の彼方に(Over the rainbow)”にも、そういった美しい虹の先を望む幸せが描かれているようです。
ところが、意外なことに、日本の和歌には虹を詠った歌は極めて少ないといわれています。
美しく、儚いとなれば、和歌にはうってつけの素材のように思われるのですが……
日本は、中国の文化の影響を強く受けています。
漢字もその一つ。
「虹」という文字は、虫へんに「工」です。古来、中国では「虫」は蛇、「工」は貫くことを表す。つまり、蛇が空を貫くのが虹。
大蛇が空を貫くとなれば、美しいどころか不吉な印象すら受けます。
「白虹日を貫く」。
中国は前漢の頃、『戦国策』に記された言葉です。白い虹を兵の、太陽を君主の象徴とし、兵乱が起こり、君主に危害を加える予兆のこと(「デジタル大辞泉」より)。
まさに凶兆とされています。
文化によって、意味は大いに変わるもの。
とはいえ、日本でも虹の歌がまったく詠まれなかったわけではありません。せっかくの爽やかな季節を迎えた今、かつての凶兆にばかり目を向けていてはもったいない。そこで、美しい虹の歌をひとつ。
むら雲の 絶え間の空に 虹たちて 時雨過ぎぬる をちの山の端
(藤原定家『玉葉和歌集』)
「をちの」とは「彼方の」との意味。
虹そのものを率直に歌ったのか、それとも何らかの政治的な意図があるのか……などと勘ぐってしまいますが、平安時代には、虹の歌も多少は詠まれるようになったようですね。
余談ですが、私にとって「虹」といえば、幼稚園で「虹組」にいたことでしょうか。
森のなかにある、とても自由で楽しい幼稚園でした。あの時の自由は、まちがいなく今の私のなかに息づいているようです。
太陽が輝き、時に雨の匂う心地のよい季節。
皆さまも、心躍るような美しい虹にめぐり会えますように。