2025年清明・虹始見:虹の彼方の吉凶

横浜界隈では、染井吉野の花が散り、八重桜の季節になりました。

薔薇の花も咲いて、空気には微かに夏の香りがしてくるようです。

 

さて、七十二候では「虹始見(にじはじめてあらわる)」とされる季節です。

透明感のある美しい彩りが、ふと現れて、やがて儚く消えていく。そんな虹を、ほんのひと時でも目にすることができれば、それはそれは嬉しいものです。

映画『オズの魔法使い』でジュディ・ガーランドが歌った”虹の彼方に(Over the rainbow)”にも、そういった美しい虹の先を望む幸せが描かれているようです。

 

ところが、意外なことに、日本の和歌には虹を詠った歌は極めて少ないといわれています。

美しく、儚いとなれば、和歌にはうってつけの素材のように思われるのですが……

 

日本は、中国の文化の影響を強く受けています。

漢字もその一つ。

「虹」という文字は、虫へんに「工」です。古来、中国では「虫」は蛇、「工」は貫くことを表す。つまり、蛇が空を貫くのが虹。

大蛇が空を貫くとなれば、美しいどころか不吉な印象すら受けます。

 

「白虹日を貫く」。

中国は前漢の頃、『戦国策』に記された言葉です。白い虹を兵の、太陽を君主の象徴とし、兵乱が起こり、君主に危害を加える予兆のこと(「デジタル大辞泉」より)。

まさに凶兆とされています。

 

文化によって、意味は大いに変わるもの。

とはいえ、日本でも虹の歌がまったく詠まれなかったわけではありません。せっかくの爽やかな季節を迎えた今、かつての凶兆にばかり目を向けていてはもったいない。そこで、美しい虹の歌をひとつ。

むら雲の 絶え間の空に 虹たちて 時雨過ぎぬる をちの山の端

(藤原定家『玉葉和歌集』)

「をちの」とは「彼方の」との意味。

虹そのものを率直に歌ったのか、それとも何らかの政治的な意図があるのか……などと勘ぐってしまいますが、平安時代には、虹の歌も多少は詠まれるようになったようですね。

 

余談ですが、私にとって「虹」といえば、幼稚園で「虹組」にいたことでしょうか。

森のなかにある、とても自由で楽しい幼稚園でした。あの時の自由は、まちがいなく今の私のなかに息づいているようです。

 

太陽が輝き、時に雨の匂う心地のよい季節。

皆さまも、心躍るような美しい虹にめぐり会えますように。